企業のIRとは、情報開示を意味するだけではなく、近年は企業の経営戦略の一つとして位置づけられるようになりました。この流れを後押ししているのが、東京証券取引所による2022年4月の市場再編の動きです。東証一部上場企業の3割にあたる664社が「プライム市場」の基準に該当しないと言われており、IR強化や企業価値を上げる健康経営への関心が高まっています。
今回は、IRのプロフェッショナルにご登壇いただき、「企業価値向上のためのIR経営戦略」についてお話しいただきました。
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東証一部上場企業がプライム市場から降格すると、さまざまなデメリットが企業にのしかかります。具体的には、株価の下落、既存社員のモチベーション低下、新規採用力の低下、取引条件の低下などがあげられ、企業価値は大きく棄損することとなります。
既上場企業がプライム市場に残るためにはいくつかのハードルがありますが、投資家との積極的で建設的な対話と、「株価」などの数値基準をクリアすることが重要な要素として求められます。そこで注目されているのが、「企業価値向上のためのIR経営戦略」だ。
IR経営戦略を理解するために、まずIR活動とは何かについて説明いただきました。
IR活動とは、成長戦略を含むIR資料で投資家に説明することであり大きく3つの要素があります。 まず、「成長戦略を作る」こと。次に成長戦略を盛り込んだ「IR資料を作る」こと。そして、その資料を基に「投資家に説明する」ことです。(渡邊氏)
この3つの要素をすべてレベルアップさせることで株価がアップする、と渡邊氏はいいます。そしてIR活動として最も大事な要素は「成長戦略」だそうです。
株価は、利益に成長期待を掛けて決まります。投資家は将来性に関心があるため、成長ストーリーを数値で語れることが大事な要素なのだそうです。
“利益”は短期の事業力であり、事業部や営業部の力で生み出され、“成長期待”は中長期の成長力であり、経営企画やIR部門の力で生み出されます。渡邊氏によると、この両方を伸ばすことが大事であり、株価を上げるためには持続的な利益成長が見込める「成長戦略」がより大事な要素となるのです。
では、“成長戦略”とは具体的にどのようなものなのでしょうか。渡邊氏は次のように述べます。
強みを活かせる市場機会を見つけ、それを獲得する成長戦略を立て、将来目標を示す一本のストーリーを成長戦略と呼ぶ。(渡邊氏)
換言すると、「当社の強みは○○であり、このようなビジネスチャンスが目の前に広がっているため、それらを○○の方法で獲得しに行き、結果として将来○○の姿を目指す」と投資家に説明できるようにすることで、成長期待が高まり株価も上がりやすくなるといいます。
それでは、前述の「株価を上げる3つの要素」(成長戦略を作る、IR資料を作る、投資家に説明する)を強化していくために、どのようなステップを踏んだらよいのでしょうか。
まずは準備段階として、自社が目標とするレベルをどこに設定するのかをしっかりと決めることが大切だといいます。その作業と並行し、成長戦略を考えていきます。戦略を考える際には、現状の内外分析をしてから将来の成長戦略を立てる順番が最良です。
そして目標設定が終わるころ、成長戦略と並行してIR資料を次のような順番で作成していきます。
「後半の将来の話よりも、決算や事業といった過去の話のパートの方が難易度が低く、簡単に進めることが可能。そのため順番としては、決算、事業の整理をし、そのあとに市場の機会や戦略パートをつくることを勧めている。(渡邊氏)。
最後のステップとして、資料を1 on 1や説明会で公開していきます。今回紹介したロードマップでは1年のタイムスケジュールを想定していますが、相当早いケースだと1いいます。渡邊氏によると「骨太のIR強化をしようと思うと大抵2年ほどはかかる」そうです。
続いて、渡邊氏が顧問としてIR経営戦略支援に携わっている企業の事例が紹介されました。
株式会社アイルは、販売在庫管理システムを手掛けるIT企業です。渡邊氏が顧問依頼を受けた当時、同社はジャスダックに上場して10年が経過し、売上100億円が視野に入ってきた状況でした。株価の上昇と採用強化のため、2年をかけて一部への区分変更を検討していたタイミングでした。
支援開始当初、「社内にIRの知見が全くない」「証券会社を完全に信頼することができない」「中立的な立場で実務的な助言が欲しい」「一般論はいらない」などといった悩みや要望があったといいます。担当役員1名と担当者2名の推進体制でスタートし、月4回、1回2時間の定例会議を実施。渡邊氏は、IR強化スケジュールの策定、成長戦略の策定、IR資料の作成、投資家説明への同席、IR体制の整備、資本政策の策定などを、現在も支援しています。
その結果、2年かけて東証一部への区分変更に成功。また、株価は最大5倍、投資家への説明回数は10倍に増え、年に100件を超えたそうです。時価総額の推移は、支援に入った2017年8月時点で90億円であった時価総額が、約3年で最大5倍超(500億円)まで増加したといいます。支援が5年目に入る現在、ESGやSDGsの流れを受け、サスティナビリティの開示について整理をしている状況です。
以前は、「人件費=コスト」と考えられていました。人にかかるコストはなるべく少ないほうがいいという考えは、企業側にも投資家側にも存在していましたが、人への投資を怠ると持続的な成長につながっていかないということが、近年明らかになってきています。
渡邊氏は、株式会社アイルの人事戦略も例に挙げて説明しました。株式会社アイルでは、女性社員の「生理休暇を有給扱いしてほしい」「生理用品を設置してほしい」といった要望を積極的に取り入れました。その結果、システム会社には珍しく、新卒の申し込みが男性より女性のほうが多くなったのだといいます。また、離職率は業界平均10%程度と言われている中、3.8%にまで劇的に改善したそうです。
昨今、人はコストではなく、将来の投資とみなす企業が増えてきている。社員に配慮している企業ほど評価されるような時代になっており、この流れは今後も続いていくだろう 。(渡邊氏)
健康経営とは、従業員の健康管理・増進の取り組みは将来的に企業の収益性等を高める投資であるという経営的な視点から考え、戦略的に取り組むものです。株式会社アイルの事例にも見られるように、成長戦略の一つとして健康経営が注目されています。成長戦略の中に、機能戦略と呼ばれる事業戦略・人事戦略・財務戦略などがありますが、健康経営は人事戦略の一つとして位置づけられています。
健康経営が従業員にもたらす効果は、「健康増進」です。その結果として、体調不良による欠勤が減るなどの機会損失の削減や、生産性の向上が期待されています。
一方で企業側にもたらす効果は、元気な社員が増えることで組織が活性化し、優秀な人材の維持・確保につながることです。また、医療費の適正化といったお金の面でもプラスになり、利益の拡大が期待されるなど経営に与える効果も大きく、企業価値の向上、株価の伸びが期待されるといいます。
経産省が主導する健康経営の認定制度として、「健康経営優良法人」認定や、その中でも特に優れた500社に関して「ホワイト500」という認定制度があります。さらに上場企業の中で、業種毎に1社の「健康経営銘柄」が選ばれます。健康経営に関する投資家の関心は高い状況であり、これらに認定されることで健康経営に積極的に取り組んでいる企業として市場での注目を集めることができるのです。
企業価値向上のためのIR経営戦略のひとつとして注目を集める「健康経営」ですが、「健康経営」がなぜここまでフォーカスされるのか、その背景には2つのガイドラインの存在があるのだといいます。
まず1つは、「改訂コーポレートガバナンス・コード」です。その中に「上場会社は経営戦略の開示に当たって(中略)人的資本や知的財産への投資等についても、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである」と明記されており、「人的資本への投資」として健康経営に関わってくるとされています。
もう1つは、グローバルでスタンダード化しつつあるガイドライン「ISO30414(人的資本の情報開示に関するガイドライン)」です。アメリカでは、上場企業は必ずこのガイドラインに従った開示が義務化されてきている状況であり、日本にも持ち込まれるのではないかと議論になっています。ISO30414には、ESG投資家向けに人的資本の情報開示のための11領域58項目の指標があり、その中のひとつの領域に「組織の健康、安全、福祉」が明記されており、「健康経営」に関わってくる内容であると言われています。
最後に渡邊氏は以下のように締めくくりました。
コロナ禍で先の見通しが立てにくい状況ではあるが、投資家から評価されている企業は将来の戦略を立て外部に発信している。ドラッカーの「未来を予測する最善の方法は自ら未来をつくりだすことだ」という言葉があるが、時代の流れを待って受け身で対応するのではなく時代の先を読み、ありたい姿を描き、それに向けて一歩ずつ進んでいく。そのような企業が投資家を惹き付け優秀な人材を惹きつけている。魅力的な成長戦略を描くのは簡単なことではないが時間をかければどの企業もできることだ。アフターコロナを見据えた成長戦略を描き益々発展されることを祈念している。(渡邊氏)